ごつごつした骨

日記です

妄想癖のある子ども

小さい頃からずっと妄想癖がある。空想というより妄想の方が近いだろう。

 

好きなアニメのキャラクターのカップリング妄想だったり、(小さい頃からずっとそう)なぜ自分は生まれてきたんだろうと考えてみたり、授業中や両親の運転する車の中なんかは特に妄想や落書きが捗る捗る。とにかくぬぼーっとした変な子供だったと思う。妄想癖は治らないまま社会人になった。

 

少し話題は変わる。

私は結構なマザコンで、小学生の頃などはかなり情緒不安定だった。小学校への登校もままならず、通学路の途中まで一緒についてきてもらっていたし、夜眠れなくなって母と一緒の布団で寝ることもあった。私の記憶では妹はこんなに母を困らせることはなかったので(姉がこうだったからなのか、それとも下の子どもはそうなのだろうか)私が特別手のかかる子供だったということだと思われる。

 

私が小学生くらいの当時、両親の折り合いがあまり良くなく、ふたりが喧嘩している風景ばかり記憶に残っている。記憶があやふやかつ私が幼かったこともあり真実味は欠けるかもしれない。

子を外へ遊びに連れて行こうとする母と、家で酒を飲みたい父とで口論していた風景が強く記憶に残っている。母が涙していたような気もする。幼いなりに家庭の不和を感じてショックだったのだろうと思う。

もちろん非力な子どもにはなす術などなく、ひっそり子供部屋に逃げ込んでは気配を殺しながら会話を聞き、縮こまるのみである。無力感が全身を包む。気まずくて、早く喧嘩が終わらないものかと思っていた。

 

私たち娘がまだ幼い頃、母はおそらく専業主婦だったと思う。ここの記憶もあいまいだ。家にいたはずだからきっとそうだ。私たちがもう少し大きくなってから、多分小学校中学年くらいから再び働き出した。

現在ではわりとおおらかで適当な人だが、当時の母は結構神経質で不機嫌な顔ばかりを覚えている。実際はそんなこともなかったのかもしれないが、私の過去のおぼろげな記憶と、嫌なことばかり覚えているという性質上、頭をぶっ叩かれた記憶(もちろん子どものしつけの一環だ)や険しい顔で寝込んでいる姿などまともな記憶がない。今はかなりワーカホリックな母なので、当時働かず子育てと家事に追われていてストレス過多だったのかもしれない。と推理している。

父はというと父もなかなか適当な人だ。私によく似ている。無口で酒飲みでよくタバコを吸う。趣味がなく酒とタバコがストレス解消の手段という感じの人だ。子育てにはあまり干渉してこなかったタイプだと思う。男兄弟で育ってきたから、娘2人への接し方もあまりわからなかったのだろう。たまに自転車で散歩に連れていってくれた。気性はおだやかだが絡み酒をするので思春期の頃は嫌で仕方なかった。

 

たぶん、私が小学校低学年か、中学年くらいの頃だ。その日、私は眠れずに母の布団の中に入っていた。横たわる私の傍らには母の携帯が置いてあり、母は寝る支度か家事かをしていた。

小学生にとって携帯は夢の機械であり、なにか憧れのようなものがあった。触らせてもらうことも少ない。

出来心というか、魔が差したとでもいうのか、私はこっそりと携帯を手に取ってみた。白く光る液晶を覗き込むと、メールの画面が開かれていた。宛先には知らない人の名前が表示されている。本文には知らない男性の名前と、ハートの絵文字が付いていて、幼心にもこれは見てはいけなかったものではないかと感じた。

私は携帯を元通りの場所に元通りに戻し、再び布団に潜り込んだ。目を閉じてさっき見たものを忘れる努力をして、母が布団に来るのを待った。

 

現在家族散らばって過ごしているのもあるのか家族仲は良好で、LINEのグループで近況報告をし合ったりしている。ある程度離れた方が上手くいくこともあるのだなと思う。

 

たまにこれを思い出すので、忘れたくて記した。

妄想癖のある私の妄想なのか、夢なのか、現実だったのか。今となっては確かめる術も無い。

休日の過ごし方

昼頃に起床し、適当な昼食を作りひとりで食べ、成年向け漫画を読みながらオナニーして少し寝る

 

これだけ出来れば休日を満喫したと言っていいだろう。

わたしにしては有益に休日を過ごせた方だ。

ここでのオナニーとは、ちゃちゃっと触ってイって終わりのインスタントオナニーではなく、バイブなどのおもちゃを使用したがっつりめの本格派オナニーのことである。体とおもちゃを綺麗にし、エロい気分を作って行うオナニーは消費カロリーが高いのだ。ベッドの中でゆっくり解説動画や2chの反応集などの動画を見て終わるだけのうんこ休日に比べればなんと有益なことか。

 

人に話したいくらい充実した休みなのに「成年向け漫画を読みながらオナニー」が唯一ノイズになる。悔しい。

アンパンマンのマーチ

「生きる理由ってなんだ?」ということを真剣に毎日考えている。

 

生きるのってつらくて苦しいことが多すぎて、なんでこんな思いをしてまで生きなければならないのか?と思う。苦しんで苦しんで生きた先に何があるのか?

生物としての目的は子孫を残すこと、ひいては種の繁栄だがそんな本能に突き動かされ生きるのはなんというか癪な現実と思わざるを得ない。私のような、生存競争からリタイアしかけている人間にとっては尚のことだ。モテないイケてない以前に、まず恋人を作るための努力すらもできない。幼稚な人間性で、自己愛が強く誰よりも自分が一番かわいい存在なので、自分以外の他者を尊重する生き方を選べる気がしないのだ。子どもを残すどころか結婚すらもってのほか、他者と住居や生計を共にするなんてできるはずがない。とにかく怠惰でマイペースな私だ。

産んだ子どもを殺す親のニュースを絶えず目にするが、自分がああならない保証などどこにもない。将来の自分の世話をしてもらうために子を残すという思想にも共感ができない。

私は病院で働いている。親の介護が必要になり、自宅での介護が不可能となり行くあてがなく、病院に長期間入院している高齢者は少なくない。しかし私はそれ自体は悪いことだとは思わない。介護は悲しいことやつらいこと、腹の立つことの連続だからだ。それを仕事として行っている場所や人に託すのは悪いことでもなんでもないと思う。介護に携わるものとして、こんなことお金をもらわなければやっていられない!と思うことが数多くある。おむつ交換や入浴介助などいわゆるシモの世話は慣れこそすれど、汚くて不快なのは変わりない。認知症の患者に理不尽に怒鳴りつけられたり何度も同じことを繰り返し話されたりするのもなかなかの苦痛で、さして感謝もされず身と心がすり減っていくのを感じる。勤めている病棟には終末期の患者が多く、日に日に死に近づいていく姿を見るのはつらい。この感覚はなかなか麻痺してこない。苦しそうな患者の世話をするたび、早く楽になれればいいのにと思う。

 

これだけ厭世的で死にたいと感じることが多い人生だが、死ぬ勇気はないのでしぶしぶ毎日生きている。自殺なんて恐ろしすぎる。痛いことや苦しいことはできれば避けたいし、醜く腐敗した私の死体を人に見られたくない気持ちもある。仕事に出てこず連絡もつかない私を心配した人々が、腐った私を見つけたらトラウマになると思うしそんな理由で誰かの記憶に残るなんて、そんなのは嫌だ(アンパンマンのマーチ

生まれてきたからには、何か私の生きた証を残したいし、誰かの大事な記憶の中に生きていたいと思う。これこそが生きる意味だと思っているのだが、何の才能もなく努力も嫌いな私はそれも叶わずひとり死んでいくのだろう。でもそんなのは嫌なので、マジで人生何とかしたい。どうしたらいいんだ。

 

 

深夜ラジオのパーソナリティーになる

私はラジオを聴くのが苦手なため、積極的に聴くことはほとんどない。好きな芸人が特番でオールナイトニッポンをやるとか、ゲストで出たとかのからみでまれに聴くくらい。


そんな私でもラジオのパーソナリティーという存在にはやはりそれなりの憧れがある。なぜなら、パーソナリティーは自分の好きな曲を公共の電波に乗せて届けることができるからだ。私が憧れを持つに至ったのは、マヂラブのANN特番で村上さんがかけた曲にブチ抜かれた経験によるものである。

夜中とも朝方ともつかない、意識が朦朧としてくるあの時間帯。半分眠っているような状態の耳に届いた「フラッシュバック瞬き」「JUNKLIFE」の2曲は鮮烈だった。特に「JUNKLIFE」は殆ど意味の通らない、支離滅裂な夢のような詞が何ひとつ頭に残らず過ぎ去っていく。この何とも言えない居心地悪さと奇妙なトリップ感に快感すら覚えた記憶がある。レギュラー放送での選曲を見ていても、村上さんは邦楽マニアなのだなと思う。一方の「フラッシュバック瞬き」は詞を読めば、夜中に聴くとキマる理由がわかっていただけると思う。浮遊感のあるサウンド、歌詞、長澤さんの歌声の美しいファルセットのすべてが相乗効果を為して抜群のトリップ感を味わえる。

放送された時期を忘れてしまったが、令和ロマンのANN特番で流れたnever young beachの「CITY LIGHTS」とFishmansの「あの娘が眠ってる」もとてもとても良かった。ネバヤンの「CITY LIGHTS」には「車」「煙」という単語が入っているのでそれ故の選曲だと思うが、洒落が効いていて脱帽した。どちらのセンスなのか?


私が深夜ラジオのパーソナリティーを任された暁には必ずかけたい曲があるので、僭越ながら何曲か紹介させていただく。


1.ゆらゆら帝国-「つぎの夜へ」

https://youtu.be/Zru7TpIp3bE

この曲も、優しくゆらぐギターの音色が浮遊感たっぷり。坂本慎太郎の静かで落ち着いた歌声と、後ろ向きなような前向きなような寂寥感に満ちた歌詞がとても魅力的だ。「真夜中 に彼は 一人じゃない気がした なめらか に世界が 光りだすのを感じた」という美しい一節を世界中の人々と分け合って聴いてみたい。


2.Fishmans-「ナイトクルージング」

フィッシュマンズは深夜〜朝方のダウナーな時間帯に最も聴きたいミュージシャンではないかと思う。昼下がりにまどろみながら聴くのも結構いいかもしれない。曲名もさながら曲調も、佐藤伸治の、声変わり前後の少年のような、高くふるえる声は耳ざわり良く、なんとなく不安感を煽りたてるような感じもあり、あの時間帯にぴったりだ。


3.台風クラブ-「飛・び・た・い」

https://youtu.be/WAXpMPfIPuQ

浮遊感という観点からは少し離れた印象になるが、ドラッグストアで買える薬でトンじゃって気持ちよくなってる曲なのでトリップ感はばっちり!「あと10分で何度目のセプテンバーさ たどり着いたコンビニの駐車場でゲロ」、最高の歌詞だ。ちゃんとゲロ吐いてる!台風クラブで最も好きな曲!

「高鳴りだすさBPM 出来心はポッケに隠して」「パトカーの赤色灯が綺麗ね ぼんやりと涙目に映して」などトリップ中の情景描写や、「金輪際で上出来の夏は来ないさ」など夏の終わりの侘しさの表現が叙情的で洒落ていて、とても美しく趣深い。こんな日本語を使えるようになりたいと思う。

この曲をかけるならば、季節は夏以外にありえない。「下宿屋ゆうれい」も大好きなのでぜひともかけさせていただきたい。


以上、現時点ではこんな感じ。同じ妄想してる人は絶対にたくさんいると思うので、皆さんはどんな曲かけたいかぜひ教えてください。




ほうれん草洗濯しちゃった

狭いアパートでキッチンの後ろにすぐ給湯器と風呂場があるような部屋に住んでるんだけど洗濯機の上にほうれん草置いといたら洗濯槽に落っこちて気づかないまま洗濯しちゃった パンツとか臭い靴下とかと一緒に


死にたい おいしそうなほうれん草だったのに まだ残り2束あったのに もったいない 死にたい

絵を描くのが好きな女の子は看護師にならない方がいい

タイトル通りだが、教室の隅で絵を描いたり本を読んだりして過ごしていたような女の子には将来看護師になることをお勧めしない。クラスの隅で絵を描いたり小説を読んで過ごしていた女の子だった私が看護師になった結果思ったことである。「看護師は国家資格だし、資格もってれば食いっぱぐれないし」とか「親が看護師だから」などのふんわりした理由で看護師になろうと思っている内気な女の子にはどうかよく考えてほしいと思う。

「クラスの隅で絵を描いたり読書をして過ごすのが好きだった女の子、看護師に向いていない説」について大きく三点に分けて考察していく。


①コミュニケーション能力の重要性

まず示したいのは、看護師という仕事には特にコミュニケーション能力が必要だということだ。もちろん、世の中のどの職業においてもコミュニケーション能力はある程度必要だと思う。看護師は関わる対象が患者や患者家族、医師、他の医療職や事務員などの様々な人と接しなければならず、そのあたりが内気な人には特に向かないのではないかと思う。人見知りであったり内気であったりする方にはおすすめできない。こちらの話の通じない家族は思ったよりも多い。そのような理解力に欠けるような家族だとしても治療方針などの重要な話し合いをしなくてはならないため、コミュニケーションスキルは重要と言えるだろう。また、患者も気難しくアクの強い性格の人が少なからずいるため、実はラウンドしたりコール対応するにもかなりの根気が要る。



②積極性が求められる

また、看護師一年目はなにかと「積極性」というものが求められる。積極性とは、「進んで何かを行おうとする性質」という意味だそうだ。

やはりなんだかんだ言っても看護師は国家資格であり専門職、専門的な知識と技術が求められる職業である。解剖生理やさまざまな病気の知識、看護技術やコミュニケーション技法等々、身につけなければならないものが多岐に渡る。

新人看護師のうちは、まだまだまっさらな状態のため病気の勉強はもちろんのこと、看護技術を身につけていくということが非常に大切らしい。「看護は実践の科学」という言葉があるように、看護技術は繰り返し行っていかなければ身につかないのである。これは私も身をもって感じたことだ。少しでも多く技術を会得するためには多くのトライアンドエラーが必要なのであるが、ここで積極性というものが効いてくるのだ。経験したことのない技術を行う前には「〇〇やらせてください」と言え、というのを先輩方にとにかく何度も言われるのだが私はこれができず、積極性がないと繰り返し注意を受けた。新人なのだから多くの看護技術を経験することは重要である。当然のことだ。だが内向的な人間にはこれがいかにハードルが高く、エネルギーを要する行動であるか。これが受動的な人間にはなかなかにしんどいため、こういった行動が苦手な方にも看護師はおすすめできない。一年目のうちから潰れてしまう。

勇気を出して「〇〇やらせてください」を言い出せたとして、実施までこぎつけても、実施前の要点や注意点についての質問攻めや実施後の先輩からのアドバイスでもダメージを受ける。もちろん先輩方は良かれと思いアドバイスをしてくれていてとてもありがたいのだが、何となく自分が責められているように感じてしまうこともある。私がそうだった。


③体力がないときつい

シンプルな理由だが、三交代・二交代の不規則勤務に耐えうる体力がなければ、看護師として働くのはなかなかにしんどい。私は学生時代ずっと文化部であったため体力は皆無に等しく、ヘトヘトになって帰宅する毎日を送っている。

日勤帯はほぼ歩きっぱなしで夕方には足が棒になりそうなほど浮腫むが、夜勤も夜勤でめちゃくちゃくたびれる。二交代制でしか働いていないため、三交代のことはよくわからないのだが、二交代制の夜勤はとにかく勤務時間が長いため、夜勤明けにはかなり疲労が溜まる。三交代制のシフトであれば準夜勤の翌日に日勤という狂ったシフトが作られることもあると聞く。体力のないもやしっ子には、帰宅して自己学習や課題をやるなどほぼ無理と言っていいのだが新人看護師のうちはそれを強制させられるため心も体もボロボロになりがちだ。


以上が、「クラスの隅で絵を描いたり読書をして過ごすのが好きだった女の子は看護師を目指さないほうがいい」と考える理由である。私のような性格の人間が看護師を目指すと辛い目に遭うことは約束されているので、同じような辛さを味わう人がいなくなれば良いなと思いこの記事を書いた。私は気が弱くて内向的な性格で積極性に欠ける人間なので本当にしんどい。早く看護師を辞めたいと思う。

ただ看護師が天職という人間は確かにいるし(嫌味ではなく素直にすごいと感じる)病気や怪我と戦う患者の手助けができたり、望む死を迎えるために尽力したりということができる看護師は他にない素晴らしい職業であるとは思う。強い信念がある方には、どうか良い看護師を目指してほしいと思う。

トラウマの記

何年間も思い出すトラウマがあるのでそれを成仏させたくてこの日記を書いている。

眠れない夜は過去のトラウマに苛まれてさらに眠れなくなるという悪循環に襲われる場合があり、それがかなり嫌だ。

その過去のトラウマについて早速書こうと思う。わたしは中学2年生の頃、クラスに友達が1人もおらず、地獄のような一年を過ごしたのだが、その当時の記憶に未だに苦しめられている。そのクラスの決まりごとでは、給食の時間の席を自由に決めてよい「自由席」という日が週に一度あった。確か水曜だったと思う。仲の良い子同士で座ることのできる日があるというのは中学生にとっては楽しいイベントだと思うが、クラスに友達のいない人間にとっては最悪以外に形容しようのないイベントである。なので、その日はわざわざトイレや水飲み場で他のクラスの友達と喋って時間をつぶし、消去法で一番最後に残った席に座っていた。どういう席に座ることが多かったかとか、その辺の詳しい事はあまり覚えていない。防衛機制が働いているかわたしの記憶力が衰えているかのどちらかだろう。担任との面談で「自由席はやめようか」と提案されたのを覚えているが、強がって断ったような記憶がある。ちなみに担任は絵に描いたような体育会系の気質の男で、運動音痴でカースト底辺のわたしにとって一番嫌いな人種だった。タチの悪いことにこれがまたよくある、恐怖政治といった感じの体育の授業をする教師なのだ。運動の苦手な生徒を晒し者にするタイプで、よく公開処刑されたものだ。今書いていても腹が立つ。底辺の生徒をなき者のようにひとりの生徒として対等に扱わないくせに上位の生徒には甘く、明らかに違った扱いをする。運動のできる子に対しては楽しげなジョークなども飛ばしたりする。マジでめちゃくちゃムカついてきた!噂に聞くと奴は出世してるらしく、それもまたムカつく。同窓会にはもちろん呼ばれなかったので参加しなかったが、現れた奴ははやたら丸くなっていたらしい。お前の体育の授業がトラウマになっている人間はたくさんいるのに、てめーはのうのうと出世しやがって、君たちの生徒の恩師ですみたいな顔しやがって。幸せそうで羨ましいなあ。心底羨ましい。あなたの体育の授業もクラスも私にとっては最悪でしたと言ってみたかった。当時のわたしはコミュ障が過ぎたため、その教師に「あなたは人の目を見て喋ることもできないのか?」とめちゃくちゃ詰められたことがある。人の目を見て喋れない人間は確かにまともじゃないかもしれないが、だからと言って中学生をそんな詰め方していいのか?わたしは教育者ではないからわからないだけで、そういう教育論もあるのかもしれないけど。まあ現在の私がまともな人間になっていない時点でお察しである。未だに人の目を見て話すのは得意ではない。

世の中って残酷だ。わたしのような人種はそういう人間たちに虐げられて反逆できず、こうしてメソメソネットに愚痴を書くしかない。悲しいがそういうふうにできているから仕方がない。

情けないことにこうして書いてても涙が出てくる。あの記憶を抹消したくて今この日記を書いている。この忌まわしい記憶を記したいがためにこの日記を始めたといっても過言ではない。

この地獄の一年を過ごした中で、唯一自慢できることは、この環境の中でも体調不良以外の理由で学校を休むことがなかったこと言うことだけだ。不登校にならなかったのは我ながらすごいと思うが、不登校になっていたらなっていたでまた違った未来があったのかもしれない。それが明るい未来か今より最悪な暗い未来かはわからないが。バタフライエフェクトってこういうことなのか?