ごつごつした骨

日記です

アンパンマンのマーチ

「生きる理由ってなんだ?」ということを真剣に毎日考えている。

 

生きるのってつらくて苦しいことが多すぎて、なんでこんな思いをしてまで生きなければならないのか?と思う。苦しんで苦しんで生きた先に何があるのか?

生物としての目的は子孫を残すこと、ひいては種の繁栄だがそんな本能に突き動かされ生きるのはなんというか癪な現実と思わざるを得ない。私のような、生存競争からリタイアしかけている人間にとっては尚のことだ。モテないイケてない以前に、まず恋人を作るための努力すらもできない。幼稚な人間性で、自己愛が強く誰よりも自分が一番かわいい存在なので、自分以外の他者を尊重する生き方を選べる気がしないのだ。子どもを残すどころか結婚すらもってのほか、他者と住居や生計を共にするなんてできるはずがない。とにかく怠惰でマイペースな私だ。

産んだ子どもを殺す親のニュースを絶えず目にするが、自分がああならない保証などどこにもない。将来の自分の世話をしてもらうために子を残すという思想にも共感ができない。

私は病院で働いている。親の介護が必要になり、自宅での介護が不可能となり行くあてがなく、病院に長期間入院している高齢者は少なくない。しかし私はそれ自体は悪いことだとは思わない。介護は悲しいことやつらいこと、腹の立つことの連続だからだ。それを仕事として行っている場所や人に託すのは悪いことでもなんでもないと思う。介護に携わるものとして、こんなことお金をもらわなければやっていられない!と思うことが数多くある。おむつ交換や入浴介助などいわゆるシモの世話は慣れこそすれど、汚くて不快なのは変わりない。認知症の患者に理不尽に怒鳴りつけられたり何度も同じことを繰り返し話されたりするのもなかなかの苦痛で、さして感謝もされず身と心がすり減っていくのを感じる。勤めている病棟には終末期の患者が多く、日に日に死に近づいていく姿を見るのはつらい。この感覚はなかなか麻痺してこない。苦しそうな患者の世話をするたび、早く楽になれればいいのにと思う。

 

これだけ厭世的で死にたいと感じることが多い人生だが、死ぬ勇気はないのでしぶしぶ毎日生きている。自殺なんて恐ろしすぎる。痛いことや苦しいことはできれば避けたいし、醜く腐敗した私の死体を人に見られたくない気持ちもある。仕事に出てこず連絡もつかない私を心配した人々が、腐った私を見つけたらトラウマになると思うしそんな理由で誰かの記憶に残るなんて、そんなのは嫌だ(アンパンマンのマーチ

生まれてきたからには、何か私の生きた証を残したいし、誰かの大事な記憶の中に生きていたいと思う。これこそが生きる意味だと思っているのだが、何の才能もなく努力も嫌いな私はそれも叶わずひとり死んでいくのだろう。でもそんなのは嫌なので、マジで人生何とかしたい。どうしたらいいんだ。